私の人生を変えたアーティスト"hide"
こんばんは✨
皆さんは音楽は好きですか?
音楽って様々なジャンルがあって全世界で親しまれるものですが
その力は偉大なもので、時に人の心や人生にまで大きな影響を与えます。
今日は、私があるアーティスト、音楽に心を救われたお話です。
私を救ったアーティストhide
私は精神の病を患い、人との関わりを断ち心を閉ざしていたことがあります。
当時は、何もかもがしんどくて自分が存在する意味を考えては絶望し、涙が止まりませんでした。辛く、苦しい毎日でした。
そんな私が暗闇から抜け出せたのは、ある一人のアーティストのおかげでした。
それは、X JAPANのギタリストhide。
今は亡き天才ギタリストの彼がどんな人物なのか、20年以上経っても愛され続けるのはなぜか…、その魅力をできるだけお伝えします。
hideの生い立ち
まずはhideの生い立ちをざっくり紹介します。
hide(ヒデ)こと松本秀人(まつもとひでと)は、1964年12月13日神奈川県横須賀市で生まれ、1998年5月2日その短い人生を終えるまで日本を揺るがし続けるとんでもないモンスターとなる。
彼は、ミュージシャン、ギタリスト、歌手、プロデューサーとして幅広い分野で日本の第一線を駆け抜けた。
1987年から1997年まで、X JAPANのギタリストHIDEとして世界にその名を轟かせ、2007年のX JAPAN活動再開以降も正式メンバーとして在籍しており、今もなお全世界のファンから愛され続けている。
1989年に、アルバム『BLUE BLOOD』でXのメンバーとしてメジャーデビューし、ヒデさん、ヒデちゃんなどの愛称で親しまれた。
1993年よりhideとしてソロ活動もスタートさせ、1996年にはレコードレーベル「LEMONed」を設立。1997年のX JAPAN解散後は、hide with Spread Beaver及びzilchでの活動を開始するも、その直後、33歳という若さでその短すぎる人生に幕を下ろした。
wikipediaより引用
とまぁ、こんな感じです!
これだけでも彼の凄さが分かるのですが、もちろん彼の人間性もずば抜けています。
まだファンになって日の浅い私が救われたのはそんなhideの人間性、そして彼から生まれる音楽のおかげでした。
だからこそ今日は私の拙い言葉ではありますが、hideの素晴らしさがもっと伝えられればと思います。そして私と同じように何か影響を受けてそれが光になってくれれば、一ファンとしてこんなに嬉しいことはありません…!
私が初めてhideを知ったのは、ある一人の少女とhideの物語を見たことがきっかけでした。
真由子という名の少女は難病を患っており、医師からは20歳まで生きるのは難しいと言われていました。そんな彼女はhideの大ファンで、難病の子供たちの夢を叶える『メイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパン』という団体の支援で「憧れの人であるhideと会う」という夢を叶え、hideと交流を深めました。
hideは当時ツアー関係で多忙の中、真由子さんの容態が良くない知らせを受け、一人で彼女のいる病院に駆けつけ彼女に言葉をかけ続けたのです。
hideはその後ドナー登録をし、ドナーの存在を日本中に伝えました。
このエピソードはyoutubeで詳しく見れます
私はこのエピソードを見るまでhideという人の存在を知りませんでしたが、ざわざわと胸の中で何かが騒いだ感覚を今でも覚えています。
こんな人が日本にいたんだ…!!と言葉にできないいろんな感情が渦巻き、一瞬にして彼の人間性に惹かれ、自分を突き通す芯を持っていながら思いやりある彼の音楽に興味を持ちました。
ハチャメチャでちょっとエッチな曲から、hideの思想が叫ばれたような曲、そしてファンへの思いが垣間見える曲まで幅広く、令和の時代にも溶け込めるものばかりで、1990年代にそれを作り上げたhideの脳内はまるで宇宙のようでやはり驚かされます。
hideの作る音楽はメッセージ性が強く、自分は自分でいいんだと、夢を持っていいんだと思わせてくれました。
閉じこもっていた私の人生がひらけたような気がしました。
それからは、辛い時には必ずhideと彼の音楽とともに過ごしています。
hideは私の恩人なのです。
hideの魅力は語りきれません。
自分の目で見て、耳で聴いて、あなたなりのhideを見つけて見てください✨